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逢瀬日記

ご主人様との出会いから今迄。 後天性被虐趣味なわたしの手記。

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しるし

私の中に深く根付く憧れのお話。

願ってやまない、
私の憧れ・・・、
それは、
「ご主人様から戴く首輪」。

奴隷といえば首輪、
そういうイメージを
たくさんのお話や写真などから
深く印象付けられています。
私にとっては、
たいへん象徴的な存在です。

それ自体が、「主の所有物」という意味を持ちますし、
ただの「道具」ではないもの、
「与えられるもの」。
そのように重みを感じます。

このように奴隷として、
ご主人様のご命令でブログを始めさせていただいて、
奴隷なのに
その“象徴的なもの”を戴いていないことが
少し・・恥ずかしくて
首輪への想いを書くことを避けてきたところもあります。
“首輪さえも貰ってないんだ”って(苦笑)


「首輪」

欲しいと願うのに、
自分で手に入れても何の価値も無い。
そういった不思議な存在。

「買う」でも「贈られる」でもなく
「与えられる」もの。

ですから、私は、
他の方のブログへおじゃまするとき、
そこに描かれている、
「首輪をかけてもらう」ことに
いつも深い憧れを持たずにいられません。

ごっこではない、
意味を持つ「首輪」。
それは、おねだりをしても意味がないものです。
奴隷としての様式美ではない首輪
それを求めています。
それは
求めても手に入らないものでもあります。

ご主人様が自ら私にそれをつける意思がなければ
ただのモノだから・・・。

ご主人様はもしかしたら、
そういった「モノ」や「カタチ」に、
興味を持っておられない方かもしれない。

そして、もしも・・・、
もしも
これほど憧れを肥大させる前に
得てしまっていたなら
何気なく渡されていたなら、
与えられていたなら
もしかしたら
それ自体に
(ご主人様にとっては)
(そしてもしかしたら私にとっても今ほどには)
たいして
意味はないものだったのかもしれない。

憧れを募らせてしまった今となっては
私はもう、
ただのモノとしてその存在を捉えることは出来ません。
“与えられていない”
その現実に意味を見出そうとしてしまいます。

ご主人様が“かけてみたい”
そう思われない限り、
ご主人様の首輪に繋がれる経験なしでは
私はご主人様の奴隷として
不足しているという気持ちがあると
どこか
感じます。

実際 そう なのかもしれないです。
だから与えないのかもしれないです。

自分の欲求のままにこんなことをここで言うのは
わがままなことなのかもしれない。

ご主人様は
私がそのように思うことを知って
与えないのかもしれない。

“与えられていない”その現実は、
ご主人様にとって「カタチ」の首輪に意味は無いから与えない
という可能性と、
ご主人様にとって「カタチ」以上の意味を持つから簡単には
与えない
という可能性とを示します。

後者であるなら
私の首輪への想いは
いっそう熱を増します。
奴隷以前2の、
あの夜のことを
私は何度も思い返します。

「ご主人様の与えた首輪」の似合う奴隷に
なりたいです。
ご主人様の奴隷になりたいです。
あのときよりも
もっともっと、
確かな気持ちで










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