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逢瀬日記

ご主人様との出会いから今迄。 後天性被虐趣味なわたしの手記。

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真一郎さんのこと

真一郎さんのことは、あまり好きになれなかった。

真一郎さんとは、
『恋するおもちゃ』、サタミシュウさんの作品の登場人物のこと。

まどかへのDVチックなところとか、
しょぼい感じ。
屈折したところ。
けれども
数年を経て、明子にとっての「先生」になっている頃には、
その有無をいわさない感じ、
考えの深さ、彼なりの愛情が、
とても気に入ってしまっていた。

素敵な人はそれなりの経験や年月が重ねられているということなのね。

夢もお金も無い、性欲は有り余っている青年が
やりたいことを見つけてその道で在る程度の成功をしてやっと
人を従わせる自信とか、箔みたいなものを得る過程
自信を得た先に、哲学や美学みたいなものが宿り始める
ひとつの成長の物語

それを軸に主従という他者との関係のイデアが咲き乱れる。


明子さんの「先生」がもう居ないことに気付いて
「何も考えられなくなった」
空白の気持ちが痛いほど伝わってきて、
何度読んでも涙ぐんでしまう。
絶対もう会えないって判っている。

最後の、百花の、
「さいごのザーメンとさいごのセックスは私に下さい」
という気持ちも痛々しい。
別れ、もう会えないこと、
この本はくり返し別れを書いている。
人と人はずっと一緒ということはないと、
だから、
いつも最後と思うこと・・。

まどかはきっと平凡な男性といずれ結婚しただろう。
美雪さんはひとりのままでいる気がする。
明子は夫と日常を。
彼女たちにとって
真一郎のいる風景はそのまま生きた証のような気がする
自分の奥深くにあるものを共有して
それはどこにでもあるような形のものではなくて
だからいっそう唯一性が濃くなって
何度も何度もその日々を愛しく反芻するのではないだろうか。

「自分の望んでいたことが何だったかすらわからなかったのに
それがいきなり目の前に現れて、何の迷いもなく
そこへ飛び込んだのです」
これは本篇から抜粋した百花の気持ち。
この気持ちは、あの日、ご主人様に出逢った
私の気持ちでもある。
なぜ経験も無い状態で奴隷になることをすぐ決意したか
私は訊かれて、本物だと思ったからですと答えました。
すごい経験をたくさんしたように思う。
どれも一人では思いもしないことばかり。
“わたしはここまでいやらしくなれるんだ・・”
この本の帯のコピー文、
そのままを本当にそう思った。
“自分のすべてを捧げる対象をもつ”
はじめの頃は、
それは自分にとってどんな利があることか、
そんなことは可能なのか、そう思っていたけれど、
利/害をこえて、可能/不可能をこえて、
状態としてそうなってしまうことを知る。

ご主人様との関係が自分のなかで揺らいだ時
この本の
「いつでもこれが最後かもしれないと思ってしゃぶれ」
という言葉で何度も何度も泣いた。
もう会えない、おしまいという気持ちが
この本では何度も何度もくりかえされる。
さようならとはじめましてと、さようならが続いていく。
いつも最後でいつも唯一で
だからつながっていたいと心から望む

そのひとりの人でさえ、
その時点のその人にすぎなくて、
まどかが、美雪が、明子が、百花が出逢ったのは
真一郎だけれど、
彼女たちの視点からは
どれも違う真一郎。
それは真一郎自身が変化し続けるから。
私がまどかだったり、明子だったりしたら、
未来を知りたがったり
過去を知りたがったりするかもしれない。
過去や未来に嫉妬をするのかもしれない。
「私の知らない真一郎」を知りたいと望むかもしれない。
でもそれは興味を満たしたとしても意味のないことかもしれない。
いま そこにいる真一郎は
過去にも未来にも居ない真一郎で
過去にも未来にもない魅力に満ちている
真一郎に関わった人たちが彼に影響を与えて
過去の出来事を慈しんで
今の彼がいる。
彼が終盤に百花に話す、「過去の話」は、
たくさん泣いた後の
私の心をとても穏やかにさせる。
この作品では
別れがくり返されるけれど、真一郎にとって
そのどれもが価値のあるものだと
関係が終わったから、
もう会わないから、
「おしまい」ではないのだと
やさしく伝わってくる。
もう会わなくても共に生きることが出来る

逢えた「時」は間違っていないし
過去や未来を眩しく思う必要はない。

「いま、ここ」だけを生きる
昨日や明日には存在しない人々










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宝石箱の中の純粋

『人生がときめく片づけの魔法』を
先日読んで、実行しました。

出てくる、出てくる、
「所有」を満たしたいだけのモノや、
「思い出」を盾にまったく使わないモノ。
貰ったから何となく在るモノや、
「買った」ことで満たされて使われなかったモノ、
忘れ去られていたモノ。

上記の著書でいうところの「お祭り」を
実行しました。

すっきりとキレイになった部屋には、
大好きなもの、大事なもの、思い入れの深いもの。
それが、ひとつひとつ
大切に“展示”されている状態になりました。
心の奥にあるもの、
昔から大切にしているもの、
好きだと感じるもの、
それが、モノとの対峙でカタチになっていくようで
楽しかったです。

宝石箱の中に、
本当に大切な宝石だけを綺麗な状態で大切にするように
ご主人様への気持ちも
こんなふうに、
うわべのもの、
奥に在るものを隠すための雑念を、
きれいに捨てて、
純粋なものを
綺麗なものを
純粋なままで
綺麗なままで
保てるようにしたいと思いました。












今後とも応援よろしくお願いいたします。


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S氏の推薦図書

或るS男性の推薦図書。(S男性だからS氏と明記。)
コミック「すもももももも」。

実力のない主人公の主を全力で信じるヒロイン。
人のことをあてにしない気持ち、
自分を鍛え、磨くこと、
自分の信念を明確にすること、
大切なひとの幸せを望むこと、
そういうことが、描かれていました。
或るシーンで涙してしまいました。





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『新月譚』

貫井徳郎氏の、『新月譚』を読みました。
(内容に言及しているので、読もうとされている未読のかたはご注意を)

こわくて。
おそろしくて。
グロテスクで、
ひとのこころの脆さと強さを想います。
ページをすすめるたびに、
「和子」が、「怜花」が息づいてきて、
その生を、生きてしまう。
私はいち読者で、関わりの無い筈なのに、
ありありと、その文字の連なりが、
まるで、経験したことのように。


すごく重い本で、
読後感は、遠いところに来てしまった感じをあじわう。

「はじめてすべてを与えてくれた」そう感じた相手に、
縛られ続ける話であり、
インプリンティングのこわさであり、
いろんなものの正体に気づいていく話であり、
「今のままではだめ」という強い焦燥感を味わわされる。

相手を思い通りにしたいと思ったり、
自分の理想の型に嵌めて見てしまったり、
そういうことってあるなあと感じる。
人のこころなど、
思い通りになるはずがないのに。
だからこそ、
魅力的で、
追っていたい、
そう思うのに。

話は、徹33歳と、和子21歳の出会いに遡る。
その想いが閉じる49歳までのできごとの話。
「ありふれた恋の話」
けれど、
「ありふれた」
「普通」
その正体について考えさせられる。
普通とは何か、
たどり着きたくて、たどり着いたのではない、「特殊」な立場。

良くも悪くもで鈍感で天真爛漫な徹。
自己肯定感の乏しい和子。
徹に認められることで、和子は生きる意味を知る。
徹はひとりの女性では満足しない性質のため、
徹を引き留めたいために、
“自分の魅力のなさ”を「外見」に見いだした和子は
人工的に美しさを得ようとする。
けれども、そうしたことで、
自分が捕らわれていたものの正体を知ってしまう。
追い縋るべきは美醜ではないと。
彼の気持ちを捕らえるものは、そんなものではないと。


彼を想う中で、
親子とは
友人とは
恋愛とは・・・
見たくなかったものの正体まで
はっきりとその目に灼きつけてしまう。

和子の目線で描かれる話なので、
和子に共感することになるけれど、それとともに、
その周りを縁取る出演者にも、
その思いを濃く感じる。

季子。見下していた友人に負けた悔しさ。
自分の夢が崩れていく音を聞いたときの気持ち。
「自分のすべて」を失っていく予感。
それが、和子にとって、卑しいものであっても。

和子の母。父。
自分の子に、自分の遺伝子を否定されて。
自分の手からはるか遠くへ離れていって。
愛を注いで育てたはずなのに、
剝きだしの敵意を子から感じる日がくること。

敦子。自分の子に愛人の名をつけられる屈辱。
夫の気持ちが自分にないことを知りながら続ける生活。
帰りをただ待つ時間。
子を望む気持ち。授からない絶望。

徹。
想うままに生きている筈なのに、
その行動が自分を苦しめてしまう不思議。
愛しい、その気持ちは本物なのに、
それが複数あることもまた、真実なのに。




和子の気持ちは、月のように、
何度も何度も満ち欠けをくり返す。
そして、
月のない日に、
新月・・・
確かにそこにあるはずなのに、見えない月を、
自分に深く重ね合わせる。

愛しい人がいる。
運命の恋がある。
けれどもそれを得ることは幸いか?
それ以外に何もなくなって。
徹との出会いが、生のはじまりであり、
徹との別れが、人生の終わりと同義の重さで。
ただ、どうしようもなかった
そう、感じさせる筆致がある。
選択肢は何度か現れる。
けれども、
和子はいつもぎりぎりのところに居て、
選択肢以外の答えを探したり、
選択肢自体を疑うようなことはせず、
いつも、
「どうしようもなく」
「それ以外になく」
「選ばざるを得ず」
苦しくなる道を、
細くも続いていく道を、
掴み取ってしまう。

見る者がちがえば「幸せ」な生き方かもしれない。
ゆるぎない唯一があって、
それを感じながら生きるのは、
選ばれた者しかできないことかもしれない。
ただ、物語に入ってしまってからは、手放しではそう言い得ない。
なにが和子にとっての幸せか、これでよかったのか、
物語を何度も行き来してしまう。

和子は感受性が強い。
だから、徹の賞賛を
人生で初めて浴びた光のごとく、
まばゆく、感じ、忘れ得ることがなかった。
たくさんの幸せを知った。
だからこそ、
その光を際立たせる闇の存在にも
ひと一倍敏感で
ひと一倍苦しむことになる。
光を望まなければ、知らなかった闇に包まれる。

徹に(徹の意図しないうちの)精神的支配を受け、
徹という太陽に隠れた新月のような和子。
怜花という、輝かしい存在に隠れた、新月のような和子。
たったひとりで、
自分の選んだ道を行く和子。

どんなに深い屈辱を受けても
どんなに深い絶望を知っても、
やはり、
たったひとりのひとに
出逢えたことは
和子にとって、
人生でいちばん大きな
ギフトだったと思えてしまいます。







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しづ子という女

鈴木しづ子さんという俳人がいらっしゃいます。

1919年の東京に生を受け、
24歳頃から俳句を始め、
29歳頃ご結婚、そののち離婚、
その後駐留米兵黒人と同棲、
その後には失踪、消息不明。

その生き様から「娼婦俳人」とさえ呼ばれたひと。

おそろしい位に世間体というものが在った時代に
自分のなかの女を認めたひと。

みずからの
生や性を削って
刻むように
生々しく描かれた一句一句は、
心を奪う。

みずみずしく、
つややかで、
しっとりとして、
さらさらと流れる。

はじめから仕舞いまで女。

哀しみがきらきらと
プリズムのように
光を集め
その美しさは
羨ましくもある。










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『口説きの技術』

本の話。

『口説きの技術』 山路徹 著
を読みました。

APF通信の代表取締役で、
いつかに、スキャンダルになった人。
そういう色色は取り立てて書くことはないのですが、
自分についてよく知ることの大切さ、
「聴く」姿勢のコミュニケーションと、
観察すること、
笑顔の大切さ・・・を
自身のエピソードで展開した一冊でした。

どうやら俺はモテるらしい・・・、
特に知的美人にモテる。
それは、おそらくこういう理由だろう・・。
と、いうような展開の仕方は、
受け狙いのノウハウ系のなかでは、
少し微笑ましくて
出版社に、こういう見せ方で・・・と、
プッシュされたのかなあと思いました。
ターゲッティングした顧客層は、スキャンダル好きの人や
おじさま達かしら。

後半の、仕事への姿勢のほうこそ、
この人が書きたかったことではないかなあと
思いました。

モテるには、表層を浅く飾るのを止めて、
自分の芯をつきつめていくこと
という人間としての生き方で括っています。

モテ・・・。
「モテる」ということばは、
自分ではそう想いを寄せない相手から
想いを寄せられるというイメージがあります。

それにとても意味を見出すひともいれば、
自分が見つめている相手以外からのものは
意味を感じないひともいることでしょう。


愛をうけるということは
同量の反転した気持ちを
受ける可能性もあるといえるので
自分の意思に関わらず
エネルギーを与えられるのはこわいことなのかもしれない。

「モテ」を職業にする、芸能人、有名人は
大衆にモテたい、もっと売れたいという強い気持ちを持つことによって、
深い孤独を感じたり、
もしくは孤独を求めたりするのかもしれない。

強い光に絶え間なく当たっている苦痛と悦び
自らスポットライトの当たる場所で焦燥と孤独と生きる
なんて、空想してみる。

いつも自分自身が商材で、
絶え間なく磨く努力をする
そこに見習うことはあります。
麗しさやユニークさ、哲学。
興味や関心を引くのは
テクニックの先にあるものだから。








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新刊

うふふ

待っていた、
サタミシュウさんの新刊が出ていました。
『彼女はいいなり』

SM行為やそういう関係の
エデュケーション、
その素養があるひとの、
変化の物語

一気に読んでしまいました。

とろけるような、
いやらしい描写

熱や息づかいが伝わってくるような
臨場感
鼓動
可愛らしい痙攣

本当にこのかたの書くものが好きです。

やはり、一番は
一作目が好きなのですが。







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