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被虐という名の暴力2013-01-22 Tue 21:47
自ら、被害を名乗り出ると、
相手からのフェアな反論の場が設けられない限り、 相手を一方的に加害者にしてしまうという形の暴力がある。 私は、ご主人様に対してそれをしてしまったことがあったかもしれない。 そんなふうに、思う。 私は、私を生きているから、 そのとき、 主側からみて、どういうふうに映ったかを知らない。 また、主としても、 余程でない限り、 私に直接、その受け止めの差異は示唆しない。 悲しさやつらさ、苦しみを述べるとき、 私はそれを口にすることで、 文字にのせることで、 主に対して反抗的な気持ちが全くなかったと言えるだろうか? 主の気分を害したり、こころを傷つけたことは? 勿論。悲しみやつらさ、苦しみは、 生まれてくる自然な感情で、それ自体を否定するつもりはない。 表現の在り方が、偏ったり、一方的すぎなかったか。 状況や心情を考慮したものであったか。 と、問う。 私は、 「つらい、苦しいけれど、ご主人様と共にある」のではなくて、 「共にありたいから、自分の因果によるつらさ、苦しさと向き合う」でありたい。 ご主人様にとって、 私にとって、 好ましい関係の形をいつも模索して、つくってみたい。 そのなかで、共にある悦びやうれしさ、かけがえのないものを見つけたい。 受け入れ、受け入れられてみたい。 捧げ、与えられてみたい。 感情に蓋をするのではなく、 主張が度を超すのでもなく、 ありのままをありのままにしるす さあ、ありのままって何? それはどこにある? どう伝える? 意識的に捉えるのは難しく 難しいからこそ ご主人様が求めるもの 素直な私を表現するのは 難しい・・・。 >ご訪問ありがとうございます。ランキングに登録しています。 1クリックいただければ幸いです。 |
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