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逢瀬日記

ご主人様との出会いから今迄。 後天性被虐趣味なわたしの手記。

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なれ合いと癒やしは相反するか

お逢いしているとき、
ご主人様の、
ストレスの発散の矛先になりたいという気持ちと
安らぎや充足の時間を創りたいという気持ち、
私自身がご主人様によって変わっていきたいという
気持ちが綯い交ぜになります。

そのなかの、
「安らぎ」になりたい気持ち・・・、
癒やしでありたいという気持ち。
油断をしたら、
「なれ合い」になる可能性を秘めているので
私は自分の気持ちに注意深くなります。
私の中に、2つの見方が浮かびます。

ひとつ。
なれ合いと癒やしは相反しない
互いをよく知ること、親しむことによって
より深い自己開示が可能になり、
受け入れー受け入れられることで、
安らぎを得るから。

もうひとつ。
なれ合いと癒やしは相反する
互いをよく知ること、親しむことによって
そこにあった厳格な空気感が失われてしまうため
緊張感が弛みやすくなる。
サディスティック性が存分に発揮することができにくくなり、
関係性に基づく癒やしが逓減するから。

いまは、後者が私の意見です
私がどれだけ自己開示をしても、
ご主人様は等量の開示はしない
そのことが、上下のバランスが保たれる
一因になっている気がします。
それはご主人様が意識的にコントロールされているところだと
感じます。
あとは、命令に対する私の態度、
粗相があったときの仕置きの受け方、
言葉遣いのルールを守ること、
行動のマナーを守ることなどによって
上下が分かたれ、関係が守られていると感じます。

親しさや、
理解が深まることへの
憧れはありますが、
ご主人様にとっての安らぎが
私にとってのなれ合いにならないように
また、
その逆も然りで。
なにか新しい発見があっても
それですべてを知った気にならないように
それが大切なことだと感じます。
発見自体は、とてもうれしいことなのですけどね。
いつも・・、たくさん知りたくて、
真剣に、
言葉を聴いて、眼を見ます。
それは
ここにしかない時間だから。
二度と無い今だから。

私はご主人様のことを知らないし
知らない価値を知っている

そして、ごくわずかな部分だけ、すごく知っている
どんなふうにご奉仕するのが、気に入ってくださっているか・・・とか・・・
昂ぶったときにどんな眼で私を視るか・・・とか・・・
サディスティックなスイッチが入る瞬間・・・とか・・・

いつも一度きりで
それを大切にしたい。

私はそういう空間を
ご主人様にいただいたんだと感じます。
ご主人様の奴隷にしてくださって、
ありがとうございます。







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