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逢瀬日記

ご主人様との出会いから今迄。 後天性被虐趣味なわたしの手記。

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きれいな望み

あまり、ほめられた行いではないことは承知していますが、
先日、とある神社の境内で、お参りついでに、
参道近くを歩いていて、
なにげなく懸っていた絵馬を眺めました。

熟読していたわけではなく、
眺めていたのはほんの少しの時間でしたが、
それでも感じるほどに、
恋愛ごとの望みを書かれているかたが多いようで、
「~さんと結ばれますように」
「素敵な人と巡り合って年内に結婚できますように」
「自分にふさわしい人と出会えますように」
「~さんと復縁できますように」
などの文言が壁一面に並んでいました。

そのなかで、すっと目を惹いたのが、
「~さんと通じていられますように」ということば。

じわりと、胸があつくなるのを感じました。
もしかしたら、
立場や距離の大きな隔たりがあるのかな、とか、
社会的に明るい関係にない2人なのかな、とか、
叶う望みの可能性がひくい関係なのかな、とか、
いつもそういう思考や言動でいらっしゃる控え目なかたなのかな、とか、
いろいろ思いました。
その他のたくさん連なる真剣な願いごとたち自体は神様に届き、
成就するといいなと思いますし、
否定的な見方をしているわけではないですが、
~がほしい、ほしい、ほしい、ほしいという言葉の森の中で、
そのたった一枚は
ひときわ輝いているように思えました。

輝くように思わせたものの芯にあるのは
捧げている姿勢の美 なのかなあと思いました。

~がほしい、だから~する、という交換の気持ちや、
自分は動かないけど~してほしいという強請る態度は
よく目にしたり、体験するけれど、
目の前に示されたのは、
~でありますように、そのためにつとめます、という姿勢に思われて、
いまをだいじにできますように、という自分への誓いのようであって、
そういう気持ちになりました。

「これ以上」「いま以上」を神頼みにしない真摯さ・・・なのかな
そういう姿勢でいられれば、
神様でなくとも、
大きな力が応援してくれるような生き方ができる気がして。





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