スポンサーサイト-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書く事で広告が消せます。 |
きれいな望み2014-08-22 Fri 16:39
あまり、ほめられた行いではないことは承知していますが、
先日、とある神社の境内で、お参りついでに、 参道近くを歩いていて、 なにげなく懸っていた絵馬を眺めました。 熟読していたわけではなく、 眺めていたのはほんの少しの時間でしたが、 それでも感じるほどに、 恋愛ごとの望みを書かれているかたが多いようで、 「~さんと結ばれますように」 「素敵な人と巡り合って年内に結婚できますように」 「自分にふさわしい人と出会えますように」 「~さんと復縁できますように」 などの文言が壁一面に並んでいました。 そのなかで、すっと目を惹いたのが、 「~さんと通じていられますように」ということば。 じわりと、胸があつくなるのを感じました。 もしかしたら、 立場や距離の大きな隔たりがあるのかな、とか、 社会的に明るい関係にない2人なのかな、とか、 叶う望みの可能性がひくい関係なのかな、とか、 いつもそういう思考や言動でいらっしゃる控え目なかたなのかな、とか、 いろいろ思いました。 その他のたくさん連なる真剣な願いごとたち自体は神様に届き、 成就するといいなと思いますし、 否定的な見方をしているわけではないですが、 ~がほしい、ほしい、ほしい、ほしいという言葉の森の中で、 そのたった一枚は ひときわ輝いているように思えました。 輝くように思わせたものの芯にあるのは 捧げている姿勢の美 なのかなあと思いました。 ~がほしい、だから~する、という交換の気持ちや、 自分は動かないけど~してほしいという強請る態度は よく目にしたり、体験するけれど、 目の前に示されたのは、 ~でありますように、そのためにつとめます、という姿勢に思われて、 いまをだいじにできますように、という自分への誓いのようであって、 そういう気持ちになりました。 「これ以上」「いま以上」を神頼みにしない真摯さ・・・なのかな そういう姿勢でいられれば、 神様でなくとも、 大きな力が応援してくれるような生き方ができる気がして。 ご訪問ありがとうございます。ランキングに登録しています。 1クリックいただければ幸いです。 |
| 逢瀬日記 |
|